髙千代酒造

髙千代酒造TAKACHIYO syuzo

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新潟と群馬の2県にまだがり、山頂付近には豊富な高山植物と池塘群、眺望の素晴らしさでも知られている巻機山からほど近く。巻機山の伏流水を用いて、200年前から酒を醸しているのが、髙千代酒造。県内でもトップクラスの軟水で醸すその味わいに込めた想いを伺いました。

常に先を見ながら、髙千代らしい味わいを模索。

麹室のほか、出麹用の室も10年前に新設。これにより、酒の味が向上したそうだ。

「第二次世界大戦から10年間、酒造りが行えなかった弊社は、先代社長が金策に走り、なんとか酒造業を復活させました。弊社の代表・髙橋マサエが嫁いでいたのはそれから6年後のこと、今から60年前です」。
1954年に新潟県酒造組合がつくった酒造技能者の教育機関・新潟清酒学校の第一期卒業生で、髙千代酒造の杜氏を務める阿部茂夫さんは、懐かしそうにこう続けます。
「私は入社した当初から13年目までは、製品管理や商品の配達などを中心に仕事をしていました。しかし、これからの先の時代には柔軟な酒造りが必要になる。だからこそ、いつでも対応できるように、と季節雇用ではなく、社内に杜氏が必要だと考えた社長が、当時できたばかりの清酒学校へ私を通わせてくれました」。
新潟ならではの学び場で、酒造りのイロハを学んだ阿部さん。会社に戻り、しばらくの間、髙千代酒造の酒造りを現場で学び、その後、杜氏の職につき、20年が経つ。
「代表の髙橋と同じ方向を見て、髙千代らしい味わいを、と今も毎年勉強しながら酒造りをしています」。

思案の末辿り着いた、「新潟らしくない味わい」。

仕込みに使用するタンク

「ずっと地元消費でやってきたんですけれどね、小売店が減少し、出荷量も落ちてきた。起爆剤になるようなお酒を造ろうという話になって……」。
2013年、今までの新潟清酒とは異なるイメージの味わいを、と世に送り出したのが、「豊醇無盡 たかちよ」。ひと口含めば口いっぱいに広がる芳醇なうま味が印象的なこのシリーズ。米の形にそって削っていく扁平精米も県内ではいち早く取り入れ、ラベルは目にも楽しいカラフルなものとした。
「日本酒離れの根本は、若い方々が日本酒に対してネガティブなイメージを持っているから。その要素をひとつずつ消していった結果、あのシリーズが生まれました」。
無調整生原酒やおりがらみなど、当時は珍しかった規格を次々と市場に出した。髙千代酒造の造る、華やかでみずみずしい味わいは、全国的に若い世代の心を捉えた。そして、一躍、「豊醇無盡 たかちよ」は有名銘柄の仲間入りを果たした。全国を回る営業担当と話をしながら、ラベルの色と味わいをリンクさせ、キーワードにフルーツを設定。例えば、イエローならマンゴー、黄緑ならマスカット、とより味とイメージしが合致するように、さまざまな酵母を組み合わせながら毎年データを取り、「豊醇無盡 たかちよ」の完成度を高めていったそうだ。

酒米・一本〆から生まれる、伝統の味わい

伝統銘柄の「髙千代」の文字が印象的に配された外観。

「ひらがな・たかちよ」以降に誕生した「アルファベット・Takachiyo」は、同酵母・同精白だが原料米のみ変更し、原料米による味わいの違いを楽しむシリーズとした。この銘柄が生まれてからは、多様な酒米で酒造りを行うようになった髙千代酒造。しかし、同蔵の伝統は、一本〆で醸す酒。「漢字・髙千代」しかり、昔からの銘柄で使用されているのは、夏は米作り農家でもある阿部杜氏を含めた8件の契約農家が育てた酒米・一本〆。
「私は蔵から数百メートルの場所で生まれ育ちました。この場所は昔からずっと変わらず、自然豊かな土地です。今の変わらない環境で米作りを行なっています」。

日本酒から、土地を感じてもらいたい。

髙千代酒造保有の田んぼに咲いた、稲の花。

蔵から少し離れた場所には、「酒米一本〆種子栽培田」という看板がつけられた田んぼがある。
「ちょうど稲の花が咲いていますね」。
案内してくれた阿部さんいわく、開花から二、三日で枯れてしまうという稲の花、その奥には青々とした山々が見える。実に風光明媚な場所に髙千代酒造はある。
「『ひらがな・たかちよ』や『アルファベット・Takachiyo』などから日本酒を好きになってもらい、最終的には、この場所の水、米、風土を、醸す酒から感じ取ってもらえるとうれしいですね」と阿部杜氏。長きに渡り、髙千代酒造が大切にしている伝統的な味わいを紹介しよう。

取材・文 / 小島岳大