明治時代、醸造研究者が立ち上げた長岡の酒蔵 速醸酛を産んだ『お福正宗』の蔵元
お福酒造

お福酒造OHUKU shuzo

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PICK UP 2022

工場併設の「福の蔵」ではこの蔵限定の大吟醸が人気です。どうぞお立ち寄りください。

お福正宗伝統のうまくちの味わいを醸す蔵人たち

お福とはお多福とも表現、神仏から授かった品物や幸運のことだ。この福々しい名を冠したお福酒造の蔵は、長岡市街の南東部、長岡東山山系の麓に建っている。

コメの旨みを重視した『お福正宗』

2006年登録有形文化財指定のお福酒造母屋

長岡市に合併されたが、豪雪で有名な旧山古志村の玄関口に当たる。 蔵に隣接する茅葺き屋根の家屋は、宝暦年間(1751~1763)より代々の当主に守り継がれてきたもの。
高さ4m近い天井、池泉回遊式の庭など、まさに豪農の風格。藩主牧野家から周辺の庄屋を取り仕切る役を仰せつかった、肝いり庄屋・岸家の格式をうかがわせる。2006年、国の登録有形文化財になった。
庄屋として余剰米で酒造りをしていた岸家は、1897年から本格的に酒造業に取り組むことになる。創業者は婿入りした岸五郎氏。旧姓名は関五郎松、北蒲原郡の大庄屋の長男に生まれたという。
30歳で岸五郎商店を設立した創業者は、「飲むほどに福招く酒」として『お福正宗』を立ち上げた。 飲むほどに幸福感を味わえる酒、存在感のある酒が今も造りのコンセプト。
「米をたっぷり使いあえて旨みのある味わいを追求しています。濾過を最小限にして、蔵癖のある個性豊かな酒造りを心がけています。もちろん、一貫して速醸酛を使っていますよ」と、代表取締役専務の岸伸彦さんは紹介する。

醸造の安全性を目指した速醸酛

黄綬褒章受賞の岸五郎

速醸酛へのこだわりは、創業者岸五郎氏との関わり抜きには語れない。明治時代、初代蔵元が全身全霊を注いで酒質の向上、醸造の安全性を目指して研究した酒造法だからだ。
当時、一般的だったのは江戸時代から続く生酛造り。この手法では、菌の管理に高度な技術が求められ、温度によっては酒母がダメになってしまうこともあったという。
現在、全国の蔵で安定した酒造りのために使われている速醸酛は、『お福正宗』の蔵で試用されたのが始まり。創業者は酒母製造に乳酸の添加応用を試みた。
酒母に乳酸を加えることで野生酵母を排除し、適正酵母の純粋培養に成功したのだ。 これにより、当時最も恐れられていた腐造を防ぐことが可能となり、醸造業界に大きく貢献。
この功績により、後年、創業者は醸造界初の黄綬褒章を受章している。

日本初の酒造り専門書を発刊

明治27年発刊日本発といわれる酒づくりのバイブル「醸海拾玉」

岸五郎氏は東京工業大学の前身、東京工業学校の応用化学科で発酵学、醸造学を学んだ。当時は醸造に関する書物が満足になく、上野の図書館に通ってパスツールの醸造論を写しては、夜間にこれを訳して研究したという。
卒業後は埼玉県で醸造技師を務める傍ら、醸造用水加工や酵母培養の研究を続けた。 その集大成として1894年、酒造りの専門書「醸海拾玉(じょうかいしゅうぎょく)」を発刊。
杜氏の勘に頼っていた酒造りを科学的見地から説いた酒造り教本で、とくに醸造用水の加工研究は、軟水での酒造りをいち早く可能にしたと言われる。このとき弱冠26歳というから驚きだ。
日本酒がもっと多くの人に届き、杜氏の苦労も減るようにと、このような本まで出版して全国の酒蔵に広げた。
「酒造のともしび」との副題の通り、酒造りに携わる者たちのともしびとなったに違いない。この日本初の酒造り専門書は国会図書館に原本が保管されている。

地域との共存共栄を目指して

契約栽培の山古志地区の棚田の風景

岸五郎商店は、1949年にお福酒造株式会社に改組。初代の酒造研究機関的な場から、酒製造の場への転換を意図したというが、実際は常に酒質向上の研究が主体であったようだ。
現当主は4代目の岸富雄代表取締役。会社の経営で大切にしていることは地産地消と地域貢献だという。
「土地と原料は蔵の立地を反映できる要素。酒の原料はコメであり、酒質は、収穫される土地や品種によって異なります。その違いを伝えられるような酒質を追求したい」と語っている。
お福酒造の地域性や独自性を生かす酒造りによって、地域活性化をもたらし、共存共栄を図れないかという想いからスタートしたのが、山古志地域との関わりだ。
山間の傾斜地に刻まれた、面積の小さい田が階段のように連なる風景は、非常に美しく、懐かしい日本の原風景とも言われている。

中越地震の苦難も乗り越えて

主要銘柄の『お福正宗』と『山古志』

お福酒造では1997年、生産農家から提供された圃場で当時の推奨酒造好適米・五百万石の作付けを開始。その収穫米によって『山古志純米吟醸』の醸造を実現した。
以後、酒米作り体験ツアーや物産展を通じて山古志の豊かな自然環境とともに、新しいブランドのアピールを重ねてきた。
「でも2004年、新潟県中越大震災により、醸造蔵の倒壊、山古志の棚田も壊滅状態になりました」
こうした苦難を乗り越えて翌年に醸造を再開、棚田も修復されて2007年には山古志酒米生産者協議会が発足するまでになった。
この年に新しい仕込み蔵が完成して、生産農家とともに『山古志』ブランドの醸造体制が整った。かくしてお福酒造では、このコメの旨みを生かす酒造りが今日も続けられている。 以下は蔵元お勧めの商品だ。

取材/伝農浩子・文/八田信江