極軟水「天狗の清水」が醸し出す淡麗辛口 晩酌酒『越後杜氏』にかける五泉市の酒蔵
金鵄盃酒造

金鵄盃酒造KINSHIHAI shuzo

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PICK UP 2022

五泉の恵みの豊かさを感じられる 柔らかな味わいの清酒を醸してまいります。

茂野知行社長と常務の茂野卓子さん

『越後杜氏』にかける五泉市の酒蔵、金鵄盃(きんしはい)酒造は、「いい酒はシンプル。飲む人の心に緩やかにしみこむ酒」を信条に、伝統的な食生活や郷土の祭りに溶け込む酒造りにこだわり、頑なに守り続けている。

淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒の走り

「酒造りはもともと、勘と習慣に頼っている時代が長かったのですが、それを数字化・データ化しようと始まったのが、田中哲郎先生が組織した研醸会でした。
まだ大吟醸が世に認知される前から、先生は『大吟醸こそが酒造りの基本』と指導され、うちでも大吟醸造りが始まりました。売れようが売れまいが毎年挑戦して、データを蓄積してきたのです」
と、茂野卓子常務が蔵の歴史を振り返った。これを受けて茂野知行社長が語る。
「確かに吟醸造りができないと、いい酒造りはできません。吟醸の造りの各工程に、酒造りの重要ポイントが包含されている。酒造りは手間ひまかかって当り前なんです。
効率性重視の大量生産だけしていたら、酒造りが見えなくなると思うんです」
二人の話を聞いていると銘酒『越後杜氏』がなぜ誕生したのかよくわかる。 淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒が世に広く知れ渡った現代、越後杜氏の名称もまた周知の事実となった。
日本の酒造りを牽引してきた代表的杜氏集団の名であるからだ。 だが、『越乃寒梅』を先駆けとして新潟清酒が日本酒市場へ大規模な売り込みをかけ、ブームとなるのは1985年頃からのこと。
そうした波が訪れる前の1983年、この『越後杜氏』はリリースされた。NHKの連続テレビ小説『おしん』が大反響を呼び、東京ディズニーランドが開園された年である。

新潟清酒を看板に背負った銘酒『越後杜氏』

伝統的な手造りで醸される『越後杜氏』

「大吟醸は売りたくて造り始めたのではありません。地元で支持されているのは本醸造。その本醸造の技術を上げるのが目的でした」と茂野社長。
この蔵では研醸会が解散されると、その後に組織された「越後酋楽会(しゅがくかい)」に所属し、酵母開発にも共に取り組んできた。とにかく研究熱心、酒造りへの深い想いが感じられる。
「地酒をストレートに表現したブランドが『越後杜氏』です。新潟の酒がまだ辛口でない時代でしたから、首都圏では日本酒度+4の酒は珍しかった。
今ではみんな辛口になったので、そんなに辛く感じないようですが。でもこれはスペックで辛口なのではありません。旨みの中にスッキリ感があるという意味です」
と、社長は正当派新潟清酒を解説する。 しかし、市場では淡麗辛口の反動で濃醇旨口への志向が生れているのも事実。
「飲み手の舌は成長していくもの。飲酒経験を重ねれば日本酒の原点に帰ってくると思うのです。フルーティーから入っても華やかさに惹かれても、40代50代になれば燗酒にハマっていく。
私はおでんで『越後杜氏』の熱燗が一番です。だからこれまでの路線を変える積もりはありません。最後の1本に帰ってきてもらえたらいいと思っています」
正当派新潟清酒の先駆けとして、新潟清酒の看板を銘柄に掲げた『越後杜氏』。これからも日常の食卓に当り前に上る越後の地酒であり続け、ふるさとの祭りの光景を飾る地酒として、後世にその造りを伝えていくのだろう。

霊峰白山を水源にする「天狗の清水」

主要銘柄のひとつ『金鵄盃』は建国の説話に因む

金鵄盃酒造は、村松藩三万石の城下町だった旧村松町(現在は五泉市)で1824年に創業。 社名の由来となったのは建国説話に出てくる金色のトビで、神武天皇を無血勝利に導いたとされ、平和の象徴といわれる。
1940年代、村松に置かれていた陸軍の大佐から命名いただいたことから、この名を銘柄にした酒を発売した。
創業から190年余り、地元に愛される酒を信条に、総じて味のきれいなさっぱりとした飲み口、キレの中に旨みが膨らむ味わいを求めてきた。
一方で吟醸造りには技術力の錬磨を目的に早くから取り組み、全国新酒鑑評会での金賞受賞歴は、過去10年で7回と県内でもトップクラス。 こうした酒が造れるのも水に負うところが大きいと蔵元は語る。
「霊峰白山を水源とする伏流水『天狗の清水』を、仕込み水だけでなく米洗いにも割水にも使っています。幾層もの地層をくぐり150年もの時間をかけて濾過された地下水脈は、弱酸性で極軟水。昔、村松藩の殿様が使っていた井戸と同じ水脈なんです」
「天狗の清水」の名の由来は、白山の禅寺・慈光寺周辺に数多く残る天狗伝説に因むという。白山は修験者の山だったことからも、「天狗の清水」は厳しい自然に守られた水源であることが偲ばれる。

蔵人が作った米で酒造りするのが理想

コメ作りに精通した蔵人が多い

このように水がきれいで水量も豊富な地域では、稲作が盛ん。三方を1,000m級の山々に囲まれて山の気候を受けやすく、昼夜の寒暖差が大きいことも稲作には好条件となっている。
酒造好適米の栽培も行われ、この蔵では地元産五百万石が大部分の酒に使われている。
「蔵人は年間雇用ですが兼業農家が多いんです。ですから田植えや稲刈りの時期になると、休暇を取って田んぼに直行。それだけにコメを見る目があり、頼もしい限りです。
杵渕杜氏は新潟清酒学校の卒業生だし、蔵人は酒造国家検定一級技能士の資格も持っているんですよ」
と、社長は全幅の信頼を置いている様子。蔵人が作った米で酒造りするのが理想だと話を結んだ。
以下は蔵元お勧めのお酒。

取材/伝農浩子・文/八田信江