「三さけのまち村上」で蔵と地酒を観光資源に ニーズに応えながら伝統を守る『大洋盛』
大洋酒造

大洋酒造TAIYO shuzo

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PICK UP 2022

「造り手、仕上げ手、売り手」各部門一体となって大洋酒造ワンチームで取り組んでまいります。

代表取締役社長の中山芳則さん

村上市は日本海に面した新潟県最北の都市。かつては村上藩の城下町で、今も市街には商人町、武家町の面影が残る。
約70軒の町屋に飾られたひな人形を一斉公開する「町屋の人形さま巡り」は、江戸期からの村上を偲ばせる春の風物詩だ。

歴史ある「三さけ」の街

酒造りには朝日連峰の雪解け水が使われる。大洋酒造のファンクラブや地元と取引店などが集まって行う、「越淡麗」の田植え

村上といえばやはり筆頭に思い浮かぶのが三面川の鮭だろう。市内を流れる三面川は古くは瀬波川と呼ばれ、秋になると鮭の遡上で知られる。
この貴重な鮭に感謝し、丸ごと食べ尽くす独自の食文化も育まれた。お酒のアテとして名高い「鮭の酒びたし」もそのひとつ。村上はまた地酒の街でもある。
「村上は三さけのまちをアピールしています。「鮭・酒・人情(なさけ)のまち村上」のキャッチフレーズで、観光客誘致に注力しているんですよ」と代表取締役社長の中山芳則さんは話し始めた。
そうした地元で酒造りに取り組み、観光資源のひとつとしてお役に立てることに感謝しているという。

井原西鶴『好色一代女』にも描かれた村上の酒

和水蔵には、歴史を語る貴重な品々を展示

三面川の伏流水が豊かな村上には、戦前14の造り酒屋があった。その伏流水は磐梯朝日国立公園内朝日連峰の雪解け水が源。クリアな軟水で極上の仕込み水になる。
「村上は古くから酒造りの盛んな土地でした。しかし終戦間際の1945年、管内の14の酒造業者が法令による指導を受けて合併。下越銘醸として新たなスタートをしたのです。そして1950年、社名を大洋酒造に変更。主要銘柄『大洋盛』の誕生となりました」
江戸時代から酒造りが盛んだったことは、井原西鶴の「好色一代女」にも描かれているという。村上のお大尽が京都で郭遊びをした際、京都の酒はまずいからと村上の酒を持ち込んで飲んだという話だとか。
大洋酒造の前身にあたる蔵には、こうした時代からの伝統を持つ蔵も含まれている。

全国に先駆けて大吟醸を市販

大吟醸大洋盛愛用記録

大洋酒造では1972年、全国に先駆けて市販酒として大吟醸を世に送り出した。
「70年代、大吟醸の市販酒はまだ珍しかったんです。なにしろ、商品化が始まったばかりの吟醸酒を広めるために、日本吟醸酒協会が設立されたのは1980年代になってからですから」と、中山社長は社歴を振り返る。
「発売当初は買う人が少ないだろうと、当時の社長がラベルを手書きしていました。徐々に売れるようになり活版印刷になりましたが、シリアル番号だけは社長が手書き。これは代々引き継がれて、私も先代にならっています」
この大吟醸の購入者からは、感想とともにラベル番号を送り返してもらってきた。その綴りが「大吟醸大洋盛愛用記録」として残されている。
製造比率は特定名称酒60%、普通酒40%で依然として普通醸造量も多いながらも、大吟醸酒にこれだけの熱い想いで取り組んできたことに、この蔵の底力を感じさせられた。

「越淡麗」使用の大吟醸で史上初の快挙

使用米は新潟県産米100%

大吟醸の市販酒に現在使っている米は「越淡麗」。新潟県が地酒王国の威信をかけて開発した米だが、大洋酒造では試験栽培の段階から蔵人の田んぼを使い、プロジェクトに参画してきた。
2007年にはこの「越淡麗」で造った大吟醸が、関東信越国税局の鑑評会で史上初となる新潟県総代に選ばれた。「山田錦」に代わる品種として誕生した米の力を証明したことになる。
「大吟醸だけは「山田錦」を使い続けてきましたが、2004年からは「越淡麗」に切り替えて、使用米はそれ以来、新潟県産米100%になりました。
製造の現場では勇気のいることだったはずですが、「にいがたの名工」に認定されている田澤杜氏率いる製造部も、チャレンジ精神が旺盛なんです」
どうやらパイオニア精神、チャレンジスピリットは会社設立時からのDNAのようだ。

多様な消費者ニーズへの適応戦略

縮小袋つり伝統の造りにより磨きをかけている

「当社は複数の蔵元が集まった酒蔵ですから、いろいろな英知が結集され、様々なアイデアが生れる風土があります。製造現場や栽培農家からの発案や提言もオープンに議題に上っています」
『甘口純米吟醸 大洋盛 スカイブルーラベル』や、定番の晩酌酒として支持される村上地域限定『大洋盛 紫雲 純米吟醸』をはじめ、日本酒ベースの各種リキュールなど新商品が次々に誕生しているのは、こうした背景によるのだろう。
「淡麗辛口を持ち味としてきましたが、いくつかのブランドにはある程度の個性を持たせることを目標にしています」と中山社長。 淡麗辛口を基本としながらも多様な消費者ニーズへの適応戦略も着々と進めている。
飲み手から求められるレベルが底上げされてきた現在、抜きんでたものが必要。後味の引けの良さをさらに高め、高品質を追求するために、製造の心臓部「麹室」をリニューアル。
麹を造る製麹装置を導入したり、あえて旧来型の搾り方式を可能とするステンレス製搾り機を購入するなど、酒造りの新しい装置を充実させたという。

観光蔵推進戦略でコアなファン作りも

日本酒関係のアンティーク品なども展示している和水蔵

市の推奨する「鮭・酒・人情(なさけ)のまち村上」キャンペーンに呼応して、大洋酒造でも酒蔵を開放し「町屋の人形さま巡り・町屋の屏風まつり」に参加してきた。
中山社長:当初は古い酒蔵の土蔵を使っていたのですが、試飲販売もすることから常設展示場を新設しました。2011年に「和水蔵(なごみぐら)」として開場、ここに酒文化にまつわる品々を展示し、同時に試飲もしていただける場にしました。
観光資源のひとつである地酒の魅力を向上させ発信することにより、地域経済の活性化に貢献したいと考えたからです。
コアなファン作りも地酒蔵には必要と、中山社長は話を結んだ。 以下は蔵元お勧めのお酒。

取材/伝農浩子・文/八田信江