新潟の厳冬を生き抜く知恵を酒づくりに 豪雪地帯・小千谷『高の井酒造』のアイデアとは
高の井酒造

高の井酒造TAKANOI shuzo

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PICK UP 2022

2022年3月、蔵元 直売所 「ゆきみず庵」オープン!! 日本酒を通じて、小千谷の魅力を堪能してください。

蔵のある小千谷は新潟県でも豪雪地帯に数えられる。高の井酒造4代目蔵元の山﨑亮太郎さん

「五辺の大火で蔵も資料も全て灰になってしまいました」と語るのは4代目蔵元の山﨑亮太郎さん。当時、蔵にあった1,300石は大火事によって消えてしまったのである。

大火や戦争をくぐり抜けて

美味しい酒を届けたいとの思いから設備の近代化を進めてきた

高の井酒造の前身は「山﨑酒造場」。現在の小千谷市高梨町五辺にて、江戸時代後期より酒造りをしてきた。蔵は本来なら、この先祖代々の土地にあったはずだが、1937年、「五辺の大火」に巻き込まれた。
「曾祖父が命からがら持ち出せたのは、金庫と恵比寿さまの木像だけ。しかし負けん気が強かった。半年後、今の土地に目をつけ、酒蔵を再建。3年後には隣に醤油、味噌工場も造りました」
信濃川が流れる小千谷では川を水路に物流が盛んに行われていた。しかし先々々代は当時、まだ珍しかった鉄道に注目。蔵の近くにある小千谷駅を蔵の前まで引っ張ってこようとしたそうだ。
「蔵で酒を詰めたらそのまま列車に乗せ出荷するという思惑もあったようです」と語るが、戦時下に突入し、統制という形で米も自由に扱えなくなる。酒造りも難しくなり、閉蔵に。

戦後、ふたたび酒造りをスタート

「ならばと、隣の工場で味噌、醤油を造りました。戦時中に創業した「山崎醸造」では、当時、最先端の技術で粉末味噌を造り、軍に味噌と醤油を納めていた。15年間、酒造りを休眠し、戦後、米の需要が好転したのを機に1950年、先々代が社長の時に再度酒免許を発行してもらったのです」
そして社名を一新。前の蔵があった高梨町の「高」と、酒造りの命脈をなす井戸の「井」をとって「高の井酒造」と名付けた。
「酒造りが再開できる……その時の祖父の気持ちを考えると、涙が浮かびます。移転したとはいえ、昔なじみさんからも早く復活をという声を頂いたと聞きます。皆さんに待ち侘びてもらえる酒だったのですね」

風習から生まれた雪国ならではの日本酒

まろやかでとろみさえ感じる雪中貯蔵の酒。この酒の先駆けとなった蔵でもある

県内には雪室貯蔵を行う蔵は、いくつかある。が、じつはその貯蔵をまず形にしたのは高の井酒造だった。
「雪国では冬を越すために、野菜を雪の中に貯蔵する風習があります。雪下人参や大根を作っているのを見て、日本酒もできるんじゃないかと思いついた。30年ほど前、まだ雪中貯蔵に取り組む蔵はなく、試行錯誤で始めました」
まずはタンクを外に出し、生酒を詰めて、その上に雪を被せて山を作り、100日間囲って様子を見る。当時は商品化するつもりもなく、雪の中でお酒はどうなるかという好奇心のみ。
100日後、タンクを掻き出し、酒を計測してみた。すると驚いたことに、雪中貯蔵する前後でアルコール度数も日本酒度、酸度、アミノ酸度も、数値の変化は全くなし。
しかし口に含むと明らかにまろやかになっており、とろみさえ感じたとか。

ニュースがきっかけで話題に

「しぼりたての生酒と数値がほとんど変わらないのに、風味だけが化ける。こんな味わいは面白すぎる。せっかくだから商品化しようという流れになったのです」
新潟で面白い酒が生まれたというニュースはまたたく間に広がる。全国放送の報道番組でも取り上げられ、多くの問い合わせがあった。
今は純米吟醸用の1万ℓと純米大吟醸用の5000ℓのタンク2本で雪中貯蔵を行い、毎年5月にお披露目会を蔵で開催。そのイベントはあまりの人気で、200名の枠は争奪戦になっている。
「雪中は熟成するに非常にいい環境です。酒はストレスなしで、ただゆっくりと眠れる。それが、あのとろみあるまろやかな味わいを生むのです」
この商品には熱狂的ファンも多く、毎年3ヶ月で在庫切れになるそうだ。

地元第一の信念から生まれる先見性

美味しい酒を届けたいとの思いから設備の近代化を進めてきた

江戸時代の建物が多く残っている小千谷。それにはワケがあった。
「古くから盛んだった織物産業を通じ、取引先の京都や大阪から伝統や食文化など多くの事を学び、街を繫栄させた。また、これからは学問が必要と地域に全国初の公立小学校を建設。今をどうするじゃなく、小千谷の未来をどうするかの先見性を持つ人が多かったんですね」
そうした精神は高の井酒造にも受け継がれている。例えば1960年代に季節雇用を廃止、地元採用に向け改革してきた。
「酒蔵は地域に根付いた事業ですから、地元の人に働いていただいてこその地酒だと思うのです」と語る山﨑さん。
従業員が地元だから地元とのパイプも太くなる。祭りやイベントに蔵の酒を景品として出してほしいとか、お祝いで配りたいからという注文も増えた。
だからこそいつでも地元の人が「美味しいね」と喜んでくれる味を造り続けるのみ、という。
山﨑さん:子供の頃、近所の酒蔵に遊びにいくと蔵人が遊んでくれた。今は自分がご近所の子供たちと遊びながら、未来の蔵人を育てています。そんな蔵元お勧めのお酒を紹介しよう。

取材・文 / 金関亜紀