「新潟銘酒の父」の教えが流れる糸魚川の酒 蔵人の栽培米だけでつくる6人の蔵とは
猪又酒造

猪又酒造INOMATA shuzo

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PICK UP 2021

2016年に新発売したのが「サビ猫ロック」というシリーズ。猫と音楽と酒好きに捧げるオルタナ純米酒です。これまでのラベルは筆文字にこだわってきましたが、この銘柄はラベルがかなり斬新。月不見ファンからはびっくりもされましたが、1週間で1000本ぐらいどっと出ました。今年もこのシリーズには力を入れていきますよ。

4代目当主の猪又哲郎さん

「日本酒の本質は味とキレ」 と語るのは、4代目当主の猪又哲郎さん。飲み進むにつれて美味しくなる酒を目標とする。また米の酒ならではの熟味と熟香も大切にし、純米吟醸以上は1年以上蔵で管理し熟成したものを出荷している。

「新潟銘酒の父」の指導の下に

『月不見の池』の看板を掲げた猪又酒造の店舗。向かいに蔵が建つ

糸魚川駅から猪又酒造まで、取材班が乗ったタクシーの運転手は、糸魚川の出身でなかなかの日本酒好きらしい。道中、糸魚川五蔵について熱く語る。そして曰く、「猪又酒造の前の杜氏さんは越乃寒梅にいた人間だよ」。

蔵の酒質のみならず歴史にも精通しているとは、なんたる地元愛だろうか。 到着すると4代目当主の猪又哲郎さんが迎えてくれた。堂々たる和風建築の広間に通され、一隅にはこれまでの主要商品がズラリと並んでいた。さっそくドライバーに聞いた話からインタビューを切り出す。

「先代である父が田中哲郎先生に心酔していまして、先生設立の研醸会にも参加させていただきました。越乃寒梅さんもメンバーだったので、お付き合いがあったのです。父の代の杜氏は寒梅さんで頭だった人物です。蛇足ですが、私の名前『哲郎』は田中先生からいただいたと聞いております」

戦前戦後を通し新潟県の日本酒業界を指導した「新潟銘酒の父」は、この地でもしっかりと足跡を残している。

原料米は全量地元蔵人の栽培米

蔵からほど近い山中にある天然池「月不見の池」

蔵があるのは糸魚川市の早川地区、周囲を2000m級の山々に囲まれた谷合。この地に湧き出るのは、その山々に降り積もった雪から生れる伏流水だ。

この清らかな水が行き渡る田んぼで育てられる稲は、昼夜の寒暖差が大きい谷合の気候と相まって、良質な米を実らせる。 猪又酒造で使う米は全て酒造好適米。

「五百万石」「越淡麗」「たかね錦」の3銘柄で、これらは全て蔵人が栽培している。蔵人は春から秋までは専業農家、雪に閉ざされる11月から2月末まではこの蔵で酒の仕込みに携わる。

「造る酒に合わせて最適な栽培米が収穫できるし、自ら育てた米を酒にするのだから造り手の思い入れは大きい」と、猪又蔵元は自信のほどをのぞかせた。
当然、米を扱うノウハウも熟知している。精米にも洗米にも、作った者だからこそわかる微妙なさじ加減が可能で、よりいい酒になるという次第だ。

飲めば飲むほど美味くなる酒

主要銘柄『月不見の池』は近くの山中にある天然池の名

現在の主要銘柄「月不見の池」は、先々代の昭和初期に誕生した。酒銘は蔵からほど近い山中にある天然池の名前。

自生の藤の名所として知られ、シーズンになるとあたり一面を藤の花が覆って、池に映る美しい月でさえ見えなくなってしまうとか。

そのため、いつしか「月不見の池(つきみずのいけ)」と呼ばれるようになったという。 このお酒は、仕込み水も米を育てる水も月不見の池の天然水。

それぞれの米の良さ、米本来の味わいを生かし、熟味と熟香を大切に造られる。その味わいは、熟成による変遷が楽しめ、飲むほどに美味しくなる。「最初の一口より二口目、三口目も美味しいお酒がいい」と蔵元は話す。

スタンダードな酒をどれだけ美味く造れるか

量より質を求め、昔ながらの手造りを伝承

造りのコンセプトは米由来の旨みと香りのバランスが取れた酒、かつキレのある酒。綺麗だけど淡麗ではなく、味わいとコクがあって、さらに熟成で美味しくなる酒質を理想とする。

「先代が量より質とこだわり、普通酒こそいい酒であるべきと主張しました。綺麗な酒質を求めて精米歩合は60%以下と定めましたから、普通酒もこれに習っています」

精米歩合60%以下は吟醸酒並み、これを普通酒価格で販売して採算は取れていたのかと心配になる。さらに先代は純米酒造りにも力を入れた。

純米酒へのシフト志向は1965年からというから、50年以上も前に決断していたことになる。今でこそ当然のように語られる純米酒市場だが、等級分けされていた時代の日本酒業界にあっては、革新的なことだったはず。

猪又酒造には、この一本気が受け継がれている。

未来の5代目とともに

猪又社長:昨シーズンまで40年以上も勤めていた吉川杜氏の佐藤さんが引退し、今期から新しい製造責任者が誕生。地元出身で21歳から佐藤杜氏の薫陶を受けてきました。30代も後半となり、これからが楽しみです。

造りの体制は私と息子も蔵に入っていますから総勢6名。20代から50代までの働き盛りがチームワークで醸しています。蔵内の設備は昔ながらの和釜に甑、10㎏の箱麹法。搾り機だけは先代が槽を自動圧搾機に変えました。

当時は70代の蔵人が主だったので、労力を考えてのことのようです。このような先代の志を大事にしながら、新しい試みにも挑戦していきたいと思っています。

猪又酒造のお酒は熟成によってより美味しくなる酒質。米本来の味を生かして造られた酒は、熟成によってなじんだ柔らかな味わいとなる。この蔵だけにしか造れない深い香りと旨味が感じられる。

蔵元が自信を持って勧めるお酒を紹介しよう。

取材・文 / 八田信江