量が増やせないから質を上げる 杜氏の郷・柿崎で『吟田川』を醸す代々菊醸造
代々菊醸造

代々菊醸造YOYOGIKU jozo

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PICK UP 2018

小さな蔵なので、造ったお酒は地元消費でほとんどが終わってしまいます。ですから、様々なところからお客様が来てくださる「酒の陣」は、どのような声が聴けるのか、こちらとしても楽しみなのです。

代々菊醸造の代表取締役社長・中澤房尚さん

海沿いにある柿崎駅から内陸に向かい、市街地を抜けると一気に視界が開ける。はるか後方に連なる山並みを背景に広がるいちめんの田んぼ。その向こう、木立に囲まれているのは神社かと思えば、代々菊酒造だ。
田んぼに水が張られる季節には、湖に浮かぶ島のように見えるかもしれない酒蔵。

頸城杜氏の里、柿崎で

代々菊醸造のある柿崎は、頸城杜氏の里。広範囲にある頸城杜氏の出身地の中でも、柿崎は代表的な場所といえる。1783年(天明3年)創業の代々菊醸造蔵元、中澤房尚さんは酒造りも手伝う。
酒造りは、農業を家業にする通いの杜氏が担う。頸城杜氏は、お声がかかれば遠い他県に出ることも少なくなかったというが、やはり、地元で通えるのは嬉しいことだろう。
「吟田川」は、地元でしか飲めない酒、と評判だ。
「もう、これ以上、量を増やすことはできないから。敷地の限度もあるし、全量湧水・槽搾り・瓶燗。ボトルにもこだわっている。ということで、大量に造ることはできない。そうなると質を上げていくしかないのです」
中澤さんは、飄々とした風情で、まるで自然の摂理のように語る。

水不足が出会わせてくれた湧水

吟田川から取水した湧水

仕込み水・割り水には湧き水を都度都度運んできて使用している。 銘柄の「吟田川」は、ちびたがわ、と読む。
酒蔵からは車で30分ほどの地名(柿崎区大字旭平字吟田川)であり、霊峰米山の中腹、標高約250mあたりが湧水地となっている。
「冷たい水」の「冷」が「吟」に時の流れの下、変化したと憶測される。現在、酒造り仕込み水には、この水しか使わないのだという。
吟田川との出会いは、1994年の水不足がきっかけだった。
「使っていた地下水も枯れてしまって、やっとこの水に巡り会いました。淡麗でありながら、味のしっかりした旨口になる超軟水なんです」
たまたま、取材中に蔵人によって水が運ばれてきた。厳冬期の中でも、「最も寒いため水が腐らない」と言われる寒の入り(小寒)から9日目には、中澤さん自身も車を走らせ、「寒九の水汲み」に行くという。

築100年近い蔵の母屋

趣のある古民家の風情。池があり木立の茂る庭に囲まれている

玄関口をふさぐように大量に積み上げられたP箱を除けば、一見、酒蔵というよりは古民家のような佇まい。
かつて酒蔵の多かった時代には、1集落に1軒は酒蔵があったとも言われ、おそらく庄屋さんが民家のまま始めた酒蔵も多かっただろう時代も想像させる。
中澤家も名家だったと聞く。それが、途絶えることなく現代に受け継がれて、約250年。 建物が当時のままではないが、それでも母屋は100年近い。
昨年、何十年ぶりかで麹室を作り替えた。
「古くなってたからね。秋田杉を多めに仕入れて、修理の際にも同様に治せるようにした。体制を整えておかないと思ってね」
麹室も木製、もろみを絞るのは木製の槽だ。柿渋で塗られた大きな槽は存在感があり、歴史を物語る。しかし、扱いが面倒で人手が必要なため、使っている蔵は減っている。
「私の考えだけど、やっぱり上からかかる自然の圧力で搾るのが自然だと思うのです」

酒器に魅せられて

肌に温かみと表情がある土物が多い

蔵元の中澤さんは、酒器の蒐集家でもある。元々は「酒の写真を撮るなら」という目的で、集め始めた。もっぱら上越市など地元の作家を見つけ出しては購入している。
酒器を通しての交流も広がった。その肌から雪の見える風景など、地元だから共感できる作品もあるという。
中澤社長:器は、お酒の味もイメージも変えます。地元の作家の酒器で、地元だけでしか飲めないお酒を飲むのもいいのではないでしょうか。
蔵元お勧めのお酒は次の通りだ。

取材・文 / 伝農浩子