酒造りの国・新潟を支える杜氏 その歴史と誇りを思い起こさせる『よしかわ杜氏の郷』
よしかわ杜氏の郷

よしかわ杜氏の郷YOSHIKAWA TOUZINOSATO

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PICK UP 2020

酒造りシーズンの10〜3月は、醸造の様子を公開していますが、日によって、時間によって、仕事内容も異なり、また、仕事のない場合もあります。前日にお問い合わせいただければ、翌日の様子は大体分かります。造りを見て、飲んでいただけると、そして、「にいがた 酒の陣」に来ていただけると、また、味わいが違ってくるのではないかと思います。

2代目となる杜氏の小池善一郎さん

新潟で日本酒に関わる人、または古くからの新潟酒好きが、「吉川」という名を聞くと、郷愁にも似た表情になる。
杜氏の郷として知られるこの地には、各地へ赴き活躍する杜氏たちと、その後に続く若者たちを育てる高校の醸造科があり、高校生の醸した酒があった。

全国でも希な醸造科を有した吉川高校

吉川高校の生徒が醸した「若泉」。

この上越市吉川にあった新潟県立吉川高校には、1857年から2003年まで、国内でも唯一となっていた高校の醸造科があった。
高校生が醸していた酒は『若泉』という銘柄で販売もされ、総量が少ないということもあるが、すぐに売り切れる人気だったという。出身者は、現役で活躍している人も多く、新潟県内のほか各地の酒蔵で出会うことができる。
日本酒作りへのバックアップや教育の体制では、群を抜く新潟県。1984年の開校からすでに30年を超えた清酒学校、そして、2018年3月からスタートする新潟大学での日本酒学研究へと続く、日本酒造り教育への先鞭となったのかもしれない。

ところで越後杜氏とは?

よしかわ杜氏の丁寧な酒造り。その、ほぼ全ての工程がオープンという貴重な施設。

新潟県の杜氏集団というと、「越後杜氏」とひとくくりにされる現代。しかし、この広い新潟である。その中には、四大とも三大ともいわれる杜氏集団があり、さらにいくつか、杜氏を輩出していた地域に分かれていた。
一般的に分けられるのは、上越、妙高、柿崎、吉川の杜氏が集まる頸城(くびき)杜氏、刈羽と柏崎の一部から成る刈羽杜氏、越路と小千谷の越路杜氏、寺泊地域の野積(のづみ)杜氏という4つの地域。
中でも頸城杜氏は、県内はもとより愛知、岐阜方面など、県外へ出向くことも少なくなかったという。

元禄時代から続く酒造りを、道の駅で見学

酒粕アイスクリームなどもあり、気軽に訪れたい。

『よしかわ杜氏の郷』は、その名の通り、現在も多くの杜氏が活躍する杜氏の郷としての歴史と、吉川杜氏が醸した酒とをともに伝えたいと、1999年に設立された。
店舗に併設された醸造場で行われている酒造りの様子は、いつでもガラス越しに間近に見ることができる。麹室も例外ではないので、運が良ければ種切の様子まで見られることも。道の駅の駅の一角を成していることもあり、多くの観光客が訪れる。
約300年の歴史を持つとされ、最盛期には吉川町内だけで27の集落に酒蔵があったと言われる酒造りの町、吉川。杜氏制度が確立されてからは、夏は地元で米作り、冬は酒蔵に入り酒造りをする杜氏たちを多数輩出し、今もその形態は残っている。
酒造りや杜氏の醸造教育において上越市吉川(旧吉川町)が刻んだ歴史を、実感することができる。

2代目も生粋の吉川杜氏

現在、杜氏を担っているのは、小池善一郎さん。吉川生まれの吉川育ちで、吉川高校醸造科の卒業生という、生粋の吉川杜氏。高校の中に醸造設備があり、麹造りなどの時には泊まりでの実習もあったという。
2002年に蔵に入り、初代だった先代の元での2年を経て、2004年から晴れて2代目となった。ここが4ヶ所めの蔵だという。前の3ヶ所はいずれも愛知県だったというから、これも吉川杜氏の王道と言える。
「以前の蔵とは水も違えば、造りも、設備も違い、最初は戸惑ったね。でも、あっちへ行ったらあっちのやり方、こっちへ来たらこっちのやり方、そこへ自分のアイディアや、やりたいことをちょっと加えて、いい酒を造るだけ」
職人そのもの、という言葉が返ってきた。「山田錦」「五百万石」と食用のコシヒカリを作る農家でもあり、小池杜氏と地元職員の実家や契約農家が作る酒米と県産の飯米「こしいぶき」で、ほぼ酒が造られているという。
また、水は、豊かなブナ林が広がる尾神岳の伏流水。米、水、杜氏、蔵人。蔵のすべてが吉川産だ。

「吉川杜氏の酒」と胸を張って言える酒を

杜氏の小池善一郎さんは語る。
「自宅はここからくるまで10分ほどのところ。高校出たてで杜氏さんに付いて酒蔵に入ったときは、全くの小僧っ子でしたね。吉川高校で習ったとはいっても実際の現場は全く違った。もちろん、ある程度の知識はあるから、全くの初心者とは違っているのでしょうけど。
任せられる仕事は、最初は窯場から始まって酛屋、麹屋……。蔵を変わるときも杜氏さんが全員引き連れて次の酒蔵へ。そして引退するときに私に任せると言って、引き継ぐ形で杜氏になった。そろそろ、家に戻って落ち着きたいと思っていたところ、こちらへ来る話がありました。
気がつけば30年を越えて、いい場所が与えられたと思います。『吉川杜氏の酒』と胸を張って言える酒を、常に上を目指しながら、これからも造っていきたいですね」
地元で酒造りができる幸せも、きっとその中に包み込まれているに違いない。蔵元が勧めるお酒を紹介しよう

取材・文 / 伝農浩子